印刷博物館、市ヶ谷の杜本と活字館

印刷博物館に「明治のメディア王 小川一眞と写真製版」を見に行った。

小川一眞は1860年に忍藩(埼玉)に生まれた人で、若い頃に写真に興味を持ち写真撮影業をしたり英語を学んだりしたのち、アメリカに渡って写真製版や印刷を習得し、帰国後1888年に麹町で写真製版印刷業を始めた。同年に明治政府による宝物調査が行われ、フェノロサ岡倉天心、九鬼隆一に混じって小川も撮影で参加することになる。1889年に美術雑誌「國華」を創刊。写真図版をコロタイプで印刷し高い評価を得る。その後も美術分野だけでなく地震、肖像、鉄道、風景、戦争など多岐にわたる写真を印刷、出版した。

コロタイプのコロとは膠、つまりゼラチンのことで、感光液を含んだゼラチンが光に当たると硬化する性質を利用した製版技法とのこと。ガラス板にゼラチンを塗布して露光し、水洗いし乾燥させて作られる。水と油を利用する平版方式で印刷される。コロタイプは網点ではない小じわ(レチキレーション)でモノクロ階調が表現されるそう。実際見ると濃淡の幅が広くて解像度が高いというか、本物の写真により近い印刷だと感じた。特に黒が濃くより黒々している。

小川は1893年のシカゴ万国博覧会の撮影からは新しく網目版印刷(凸版)も取り入れていく。写真凸版は再現性では劣るが耐刷力に優れ大量生産に向く。小川は用途に応じて両方をうまく使い分け膨大な仕事を残した。晩年のコロタイプ印刷による東宮御所迎賓館赤坂離宮)の写真は特に印象的で、100年以上前の写真ということに驚かされる。


その後、市ヶ谷の杜本と活字館へ行く。この辺りは昔は古い建物が多く立て込んでいた記憶があったけれど、久しぶりに行くとすっかりきれいに整備され公園のようになっていた。レトロな大日本印刷の建物も修復されて活版印刷と本づくりをテーマにした施設になっている。

入り口から入ると1階には古い鋳造の機械や活字、印刷機が並び、好きな人には堪らない感じの場所だ。銀河鉄道の夜に出てくる印刷工場を思い出す。不思議な懐かしさ。昔はこういう場所が実際にあったんだろう。
2階は制作室と展示、購買コーナーなどがある。「活字の種を作った人々」という展示で、活字のおおもとになる型を彫った種字彫刻師についての内容。こうして最初に全ての膨大な活字を手で彫られていたというのだから、改めて凄い。しかもサイズ違いの極小のものも手で彫っていたのだから気が遠くなる。そして誰が作ったのかというのも一部しか残っていないのだそうだ。ごく限られた才能のデザイナーにしか出来ない仕事なのに誰が作ったのか分からないとは。活字の歴史や関わった人々も知る事が出来てとても内容の濃い展示だった。
この辺りで時間切れになってしまったけど喫茶コーナーやワークショップなどもあるそうなので、是非また改めて今度はワークショップにも行ってみたいと思った。

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赤城神社、東京大神宮に行く

最近は神社が気になっている。先日も飯田橋辺りに行ったついでに気になった神社にお参りしてきた。

ひとつめは神楽坂の赤城神社。ご祭神は岩筒雄命(いわつつおのみこと)と赤城姫命(あかぎひめのみこと)。牛込早稲田に1300年創建され、現在地には1555年から。江戸時代は江戸大社のひとつに数えられ牛込の鎮守と呼ばれてきた。赤城神社と呼ばれるようになったのは明治維新から。現在のモダンな建築は隈研吾により2010年建てられたもので、敷地内にはカフェやマンションなどもあるのが面白い。地代や賃貸料で費用を賄い、いずれマンションは解体されて神社の杜に返す予定なんだそう。都心の神社経営というのも大変なんだろうと思わされる。

ふたつめは東京大神宮。市ヶ谷からお堀を渡って神田の方に行った辺りにあり、東京のお伊勢さまと呼ばれている。主な御祭神は天照皇大神豊受大神明治13年(1880年)に伊勢神宮の拝承殿として創建され、明治政府の祭政一致〜祭政分離の方針転換に振り回されたりした歴史もありながら、明治期から一般向けの神前結婚式を創始し普及させてきた。今では女性中心に縁結びのパワースポットとして賑わっている。

この日も夕方近い時間にも関わらず参拝客がひっきりなしにお参りしたりおみくじを引いたり祈祷を受けたりしていて、人気神社は熱気が凄いなあと驚いた。一通り廻った後に鳥居の前で写真を撮ろうとしていたら、散歩の途中みたいな人々が何人もお辞儀をして通って行った。現代の東京人でも根っこは変わっていないというのを見たようで印象に残った。

昼はアラビアンレストランでファラフェルプレートというのを食べた。フムス(ひよこ豆ペースト)とファラフェル(豆のコロッケ)と平たいパンなど。クミンやレモンが効いててさっぱりめでおいしい。

 

陰陽師とは何者か 国立歴史民俗博物館

佐倉の歴史民俗博物館へ企画展の「陰陽師とは何者か」を見に行った。常設展とできれば城跡の公園も回りたかったけど全然時間が足りなかった。特に常設展はじっくり観たら1日以上かかりそうな量で、今回は半分しか見れなかったのでまた行こう。

目当ての企画展の方もかなりのボリュームで、陰陽師のあしあと、安倍晴明のものがたり、暦とその文化の三部構成。書物や絵巻の他にも道具や衣類、映像、絵巻の立体再現フィギュアまである力の入れよう。とても面白かった。巡回しないのはもったいないと思う程。図録がまた凄い情報量なので年末にゆっくり楽しもうと思う。

岡野玲子陰陽師を最近読み直したりして、安倍晴明の時代の陰陽師は少し知っていたが、その祖先や子孫の系図は今回改めて知った。安倍氏賀茂氏だけではないたくさんの陰陽師やそれに関わる朝廷や武家、寺社、民間宗教やまじないなどなど。表の歴史には出てこない人間の痕跡が生々しい。更に近世以降の暦に関わる仕事やその利権などについても。明治の初めに暦の発行権をめぐって政府や神社庁と色々あったというのもなかなか凄い話。土御門家は明治3年に陰陽師を廃止されている。

これから年末になるとお寺や神社からカレンダーや占いの本が配られるのもこういう歴史があったからと気が付くと、改めて日本の歴史との繋がりを身近に感じて面白いなあ〜と思った。

 

古代メキシコ展 マヤ、アステカ、ティオティワカン

古代メキシコ展にも行った。かなり巨大な石像などもあって運んでくるのが大変だったろう。石や玉や金属や陶器などが多く、石の文明なんだなと思った。木や紙などが残っていないのは暑すぎて腐るからなのかスペインに征服され消えてしまったからなのか。

赤の女王のマスクが特に印象に残った。パレンケ遺跡のピラミッドで真っ赤な辰砂に覆われた状態で1990年代に発見されたのだそうだ。マヤの遺跡は植物に覆われてしまって最近まで手付かずの状態だったものが多いようだ。

中には精巧でリアルな人形土偶や胸像などもあって、当時の文化がどのようなものだったのかと想像する。高度な天文学や暦を持ち、ピラミッドなど石の建築や芸術に優れ、戦争や生贄儀式といった血生臭い面もある。おそらく想像以上に複雑でユニークな文明が発展していたんだろう。



「祓はらえ 儀礼と思想」國學院大学博物館へ

國學院大学博物館の企画展「祓はらえ 儀礼と思想」を見に行った。

最近気になる神社について、身近にありつつ知らなかったお祓いの歴史について、とても興味深い内容だった。

古代の神道には他の宗教にはある教祖や経典がなく自然発生的な自然信仰が元にあったが、道教や仏教、陰陽道儒教など外からの影響で変化して今のような形になっているということ。それが主に文字資料の展示で構成されている。大学が所有の資料とのこと。

常設展示も縄文土器土偶、剣や玉や鏡まで所狭しと展示してあって、凄い。博物館の外には何か石室のようなものまでひっそりある。それが無料。レジ袋まで有料になったこのご時世に東京にこういう場所があるというのも驚き。

その後近くの氷川神社に立ち寄り茅の輪くぐりをして参拝。七夕だったので笹の七夕飾りが飾られ浴衣姿の人達もいる。なんだか変わらないものにほっとする。

 


 

東国三社巡り

鹿島神宮・息栖神社・香取神宮を廻って東国三社巡りをしてきました。

この辺りは江戸時代くらいまでは香取海という内海で水上交通が盛んな場所だったそう。東国三社巡りも船で行ったのだとか。

東国三社の御祭神はそれぞれ武甕槌神、久那戸神、経津主神と、神武東征神話に関わった古い神様。さらに大和政権や藤原氏物部氏とも繋がりが見られる。この辺りの史跡はとても古いものが多いようで興味深い。

12年に一度行われる御船祭では、武甕槌神経津主神らの時代を再現して実際に鹿島から香取へ120の大船団が向かうという。次回の午年は3年後だからぜひ見てみたい。